共感性羞恥(きょうかんせいしゅうち)とは、他人の恥や失敗を見た際に、自分自身がその場面にいるような恥ずかしさや居心地の悪さを感じてしまう心理現象です。
今回は「共感性羞恥」を徹底解説します。共感性羞恥とはなにか、共感性羞恥を引き起こす原因、そしてその対処法まで幅広くご紹介します。
共感性羞恥が単なる「弱点」ではなく、人へのやさしさや思いやりのあらわれとしてとえられる理由をアドラー心理学の観点からも解説します。
「共感性羞恥」の新しい視点を通じて、より豊かな人間関係や自己理解を深めるヒントを得てみてください!
共感性羞恥とは?
共感性羞恥とは、他人が恥をかいたり窮地に立たされたりしている場面で、あたかも自分がその状況にいるかのように「恥ずかしい」や「苦しい」と感じる心理現象です。
ドラマやバラエティ番組で他人が恥をかく場面を見て「もう見ていられない!」と感じるかたもいるでしょう。このいたたまれない感情は「共感性羞恥」かもしれません。
なぜ共感性羞恥を感じるのか
共感性羞恥は、相手の立場や気持ちへの深い共感が原因です。
家族や友人のような「心理的に距離の近い人」に対して、羞恥心を感じてしまう特徴があります。心理学の視点でみれば、相手の行動を自分に「投影」してしまうのが共感性羞恥の原因です。
ドッキリ番組でドッキリを仕掛けられた人が驚かされている場面や、恋愛ドラマの主人公が恋愛に失敗する場面で「痛々しい」と感じたことはありませんか? その感覚が共感性羞恥です。
共感性羞恥は、相手の気持ちに寄り添う力が強い人ほど感じやすいとされています。それは、他人を思いやる心が豊かな証拠です。
共感性羞恥が起きる原因
共感性羞恥が発生する原因には、大きく以下の3つがあります。
- 共感性が高く、他人の感情を自分のものとしてとらえてしまう。
- 過去に同じような恥ずかしい経験をしており、その記憶がよみがえる。
- 自尊心や自己評価が低く、ネガティブな状況を自分に投影しやすい。
これらの要素は、他人の経験に過剰に反応しやすい特性を持つためです。
そして、共感性羞恥を感じる人は、自分が経験した恥ずかしい場面を「また繰り返しているように」感じてしまうため、それがストレスとなります。
過去に人前で失敗した経験がある人は、他人がおなじ状況に陥った場面が自分の記憶と重なり、より強く恥ずかしいと感じてしまう場合があります。
共感性羞恥を感じやすいのは「恥ずかしがり屋」な性格の人が多いです。他人の視線や反応に敏感で、相手の経験をあたかも自分が経験しているように感じてしまうためです。
アドラー心理学「共同体感覚」との関係
アドラー心理学で重要とされる「共同体感覚」は、他人と調和し、つながりを持とうとする意識です。
共感性羞恥を感じやすい人は、「共同体感覚」が強く、他人との関係を深く考え、敏感に反応する傾向があります。
「他人がどう感じるか」「どう思っているか」に意識を向ける力が強いです。
家族や親しい友人が窮地に立たされたときに、窮地に立った人と自分との心理的距離が近いほど、自分もおなじ状況に巻き込まれているような、強い羞恥心を感じます。「共同体感覚」があるからこその感情です。
アドラー心理学では「他者貢献」が自己評価を高めるといわれていますが、共感性羞恥を持つ人は、他者へ貢献をしたい気持ちが強すぎて自己評価が低くなっている場合もあります。
他人の視線を気にしすぎ、自己評価が低い場合、自分の価値を他人の評価に依存しすぎてしまう場合があり、共感性羞恥を引き起こす一因になります。
共感性羞恥はなおさなくても大丈夫?
共感性羞恥は「やさしさ」や「思いやり」のあらわれであり、無理になおす必要はありません。心理的な病気ではなく、人の心の温かさや共感力のあらわれです。
共感性羞恥を感じる人は、他人の気持ちに敏感で、心やさしい性格。相手が置かれた状況に同情し、痛みや辛さを感じられるのは、他人への共感が豊かです。
友人が面接で失敗した話を聞いたとき、友人の気持ちを痛いほど理解し、まるで自分の失敗かのように感じる人がいます。
こうした人は共感性羞恥が高く、他人の気持ちに寄り添えるやさしい人です。
共感性羞恥を「なおす」のではなく、受け入れて生きていきましょう!
共感性羞恥を無理に消そうとするのではなく、共感しやすい自分の特性であり、相手を大切に思う気持ちのあらわれと受け入れます。
共感性羞恥への対処法
共感性羞恥を完全に消すのはむずかしいですが、上手に対処する方法はいくつかあります。
- 回避する:苦手な場面やシチュエーションを事前に把握し、避けることです。無理に観たり体験したりせず、自分が楽に感じられる環境に身を置きましょう。
- 自己理解を深める:自分の共感性羞恥の特性を理解し、それを自然な特性として受け入れることです。
- 周囲に理解してもらう:近しい人には自分の特性を伝え、共感性羞恥を理解してもらうと、自分を隠す必要がなくなり安心できます。
なぜ回避や自己理解が重要なのか
共感性羞恥を感じる場面に無理に向き合うと、ストレスが溜まりやすくなります。したがって、避けられるものは避け、ストレスをできるだけ軽減する意識が大切です。また、自分の特性を受け入れることで、心理的な負担が和らぎます。
映画やドラマで特に苦手なシーンがある場合、動画デバイスのスキップ機能を使い、問題のシーンを飛ばすのが有効です。心にダメージを受けず、無理をせず自分を守れるでしょう。
アドラー心理学の「課題の分離」も共感性羞恥対策に
アドラー心理学には「課題の分離」という考えがあり、「自分の課題」と「他者の課題」を明確に分けることが大切とされます。
共感性羞恥が強くなるのは、他者の感情や状況に過剰に巻き込まれてしまうためです。「他者が苦境に立っている状況は他者の課題であり、自分とは別のものだ」と状況分析できれば共感性羞恥が軽減されます。
友人が苦境に立っている場合、自分が友人のおかれた状況に共感しつつも、「それは友人の課題であり、自分が必要以上に背負うものではない」と意識すれば、過剰な共感による負担を減らせるでしょう。
共感性羞恥まとめ
わたしは共感性羞恥に長年悩んできました。他人が恥をかいたり、窮地に立たされる場面をみると、自分のことのように感じてしまい、その場から逃げ出したくなるほどの苦痛がありました。
いまでは自分の特性を深く理解し、共感性羞恥が「やさしさや思いやり」のあらわれであると知ってからは、少しずつ克服できています。
アドラー心理学を学ぶなかで、「課題の分離」や「自己理解」の重要性を知り、他者の状況と自分の気持ちを切り離すよう意識しています。
また、共感性羞恥が生まれる場面を回避したり、心に負担をかけない方法を見つけたりを心がけて、無理なくつき合えるようになりました。
共感性羞恥の特性は、他者への共感の力と前向きにとらえ、豊かな人間関係を築く過程と受け入れています。本記事がみなさまの参考になればうれしいです!
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